2026/9/24

260923_13AGI社会-共鳴の文明

世界が失った“感性”を日本は守っていた

―AGI時代にこそ必要な文明論―

 

1.「ただ一国、日本を除いて」――ネットで広がる“教授の言葉”は本当か?

 

「世界は間違った道を進んでしまった。ただ一国、日本を除いて」。最近、ネット動画などで“世界的権威の教授の言葉”としてこんなフレーズが広まっています。今回はまず、この言葉が本当なのかを確かめるところから、AGI(人間のように幅広い知的作業をこなすAI)の時代に日本の感性がどんな意味を持つのかを一緒に考えていきたいと思います。

 

この言葉は、アメリカ・スワースモア大学の名誉教授で発生生物学者のスコット・F・ギルバート氏の発言として紹介されることがあるようです。正直に言うと、私も最初に目にしたときは少しうれしくなりました。ただ、耳に心地よい「日本スゴイ」話ほど、一度立ち止まって出どころを確かめたくなります。うまい儲け話と同じで、気持ちよく信じられる話ほど、裏を取らずに広まりやすいからです。

 

あなたは「日本だけが正しかった」と聞いて、素直にうれしいですか? それとも、どこか引っかかりますか?

 

それでもこの言葉が多くの人に響くのは、AIが仕事や暮らしに入り込んでくる中で、「人間らしさはどこに残るのか」という不安を、多くの人が抱えているからではないでしょうか。大きな山や古い木、ごつごつした岩を前にして、説明のつかない気持ちになったことはありませんか? 本当のところはどうなのか、事実を確かめながら考えていきます。

 

2.AIが何でもしてくれる世界で、私たちは何のために生きるのか――“便利な絶望”の正体

 

AIが仕事や暮らしの多くを肩代わりしていく可能性がある中で、本当に怖いのは、失業そのものより「つくる・感じる・分かち合う」営みが薄れて、生きる意味を見失ってしまうこと。私はこれを“便利な絶望”と呼んでみたいと思います。

 

仕事への影響は、すでにデータにも表れ始めています。スタンフォード大学の研究では、AIの影響を受けやすい職種で働く22〜25歳の雇用が、影響を受けにくい職種の同世代と比べて相対的に19%減っていました(2026年6月時点)。ただしこの研究でも、経済全体での大規模な失業は確認されていません。減った主な理由は採用の手控えで、研究者自身も、原因がAIだとは断定できないと留保しています。

 

日本でも不安は広がっています。マーサーの調査では、「将来AIで職を失うのが不安」と答えた日本の従業員は37%で、2023年の23%から14ポイント増えました。一方でリクルートワークス研究所は、「AIで失われるのは職ではなく、仕事の中の作業(タスク)だ」と冷静に分析しています。

 

私が気になるのは、仕事の数字よりも心の変化のほうです。米国のPew調査では、「AIで創造的に考える力が悪くなる」と答えた人が53%、「意味のある人間関係を築く力が悪くなる」と答えた人が50%にのぼりました。国内でも、50〜60代の38.8%が「AIにしか話していない秘密がある」と答えています(BEYOND AGE調査)。分かち合う相手が、少しずつ人からAIに移り始めているのかもしれません。

 

AIが作曲し、小説を書き、診察し、話し相手にもなる。そんな中で、人間がただ「与えられる存在」になっていく可能性もあります。もしAIが仕事も家事も話し相手もこなしてくれるようになったら、あなたは胸を張って「自分の人生を生きている」と言えそうですか?

 

3.「日本を除いて」の出典を追ってみた――見つからなかった言葉と、見つかった本当の主張

 

先に結論をお伝えします。「世界は間違った道を…日本を除いて」という言葉は、私が調べた範囲では一次出典(本人の講演記録・論文・書籍など)を確認できませんでした。ただ、ギルバート氏本人が実際に語ってきた主張は確認でき、そこには日本の自然観と響き合う部分があります。

 

まず、人物は実在します。スワースモア大学の名誉教授で、世界中で使われている教科書『ギルバート発生生物学』の著者です。生物学の歴史や哲学に関する論文も多く、「世界的に著名」という紹介はおおむね事実に沿っています。

 

一方で、問題の発言そのものや、「来日して神社に感銘を受けた」というエピソードは、講演記録・論文・書籍・大学の広報・報道インタビューのどれでも見つかりませんでした。大学のプロフィールや出版社の紹介文にも、日本や神道への言及は見当たりません。2025年5月には「世界的権威が涙した『日本にしかない、人類最後の希望』」という、よく似た表現を使った「海外の反応」系動画が公開されています。それが元になったとまでは言えませんが、このジャンルには「登場する人物・団体はフィクション」と注記された動画もある、という点は知っておいて損はないと思います。

 

では、本人は実際に何を語ってきたのか。確認できたのは次の3つです。

 

- 2012年の論文で、生き物は微生物などと一体になって生きており「私たちは決して個ではなかった」と論じた

- 同じ2012年の大学での講話で、「デカルトとベーコンは驚異(wonder)を捨て去るべきものとした」と語り、「科学と宗教は、ともに驚異の孫だ」とも述べた

- 2016年、ダライ・ラマ14世の前で、胚(生き物の体ができていく最初の段階)が育つ仕組みを仏教の「縁起(すべては関係の中で成り立つ)」と重ねて講演した

 

つまり、本人が「日本だけが正しい」と言った証拠は見つかっていません。けれど、本人の主張から読み取れる「すべては関係の中で成り立つ」「驚きと畏れを取り戻すべきだ」という考え方は、岩や木に神を見てきた日本の感性と、どこか通じるものがあるように感じます。

 

ネットで見かける「海外の偉い人が日本を絶賛」という話、出どころまで確かめたことはありますか? そして“お墨付き”がなくても、あなた自身が感じてきた自然への畏れは本物だと思いませんか? だからこの記事では、教授のお墨付きではなく、確かめられる事実をもとに考えていきます。

 

4.「自然の主人になれ」――近代の価値観が切り捨てた“驚き”と“畏れ”

 

“便利な絶望”の背景には、17世紀の科学革命から続く「自然は支配し、利用する対象」「効率と成果こそが善」という近代の価値観があるのかもしれません。そして、その中で切り捨てられてきた“驚き”や“畏れ”こそが、AI時代に人間らしさを支える感性になる可能性があると、私は考えています。

 

原点としてよく引かれるのが、フランスの哲学者デカルトの『方法序説』(1637年)です。そこには、学問によって「われわれを自然の主人にして所有者たらしめる」という一節があります。その少し前、イギリスのベーコンは『ノヴム・オルガヌム』(1620年)で「知は力なり」と説きました。ただしベーコンは「自然に従うことで自然を征服する」とも書いていて、自然の法則をよく知ることを前提にしていた点は、公平のために添えておきます。

 

面白いのは、この価値観への反省が西洋の研究者自身からも出ていることです。歴史学者のリン・ホワイトJr.は1967年、科学誌『サイエンス』で、人間と自然を切り離して人間を中心に置く考え方が、生態系破壊の思想的な根っこにあると論じました。ギルバート氏の「驚異を捨てた」という批判も、この流れの中にあると言えそうです。

 

対照的なのが日本の暮らしです。奈良の大神神社は本殿を持たず、三輪山そのものを神として、山中の磐座(いわくら=神が宿る岩)に神を祀っています。神社の森である鎮守の森は古くからの植生を残していて、植物生態学者の宮脇昭氏は、それを手がかりに「その土地本来の森の姿」を突き止めました。正月の門松やしめ縄、お盆にナスとキュウリでご先祖を迎える習わしも、身近な例ですよね。

 

さらに、日本は機械にまで主体性を認める「テクノ・アニミズム」の国だ、という海外の研究者の見方もあります(2013年)。機械を拒むのではなく、“響き合う相手”として付き合う感覚につながっている可能性があります。

 

もちろん、自然に神を見る信仰は世界各地にあります。日本の特徴は、近代化した先進国でありながら、それが日常の習慣として広く残っている点にあるのではないでしょうか。

 

「役に立つかどうか」だけで物事を判断して、何か大切なものを置いてきたと感じたことはありませんか? 初詣や地鎮祭、しめ縄を、あなたは「ただの形式」だと思いますか?

 

5.「自然を征服すべき」34%から6%へ――日本人は一度失いかけた感性を取り戻していた

 

日本人の自然観は、昔からずっと一貫していたわけではなさそうです。高度成長期には「自然を征服すべき」と考える人が3人に1人に達しましたが、その後は大きく揺り戻しています。自然と響き合う感性は、“守り続けた”というより“失いかけて取り戻してきた”もの、と言えるのかもしれません。

 

統計数理研究所が1953年から続けている「日本人の国民性調査」を見てみます。「自然を征服してゆかなければならない」と答えた人は、1968年には34%でしたが、1993年には7%、2013年には6%まで減りました。反対に「自然に従わなければならない」は、1968年の19%から2008年には51%まで増えています。ただし2018年の調査では「自然を利用しなければならない」が「従え」を上回ったとされていて、今も気持ちは揺れているようです。

 

歴史を振り返っても、日本がいつも自然と仲良くやってきたわけではありません。江戸時代の前半には乱伐で森が崩壊寸前になり、そこから森を育てながら使う林業へ切り替えたと、アメリカの環境史家タットマン氏は書いています。明治には神社の統廃合で鎮守の森が伐られ、南方熊楠が「エコロジー」を掲げて反対しました。高度成長期の公害を覚えている方も多いと思います。それでも、感性は何度も戻ってきたわけです。

 

暮らしの本音にも目を向けておきます。内閣府の調査(令和7年8月)では、「これからは心の豊かさ」が52.2%だった一方、「まだ物の豊かさ」も46.6%ありました。物価高の中で、まず生活を、という気持ちも当然ありますよね。

 

X(旧Twitter)でも、日本在住の外国人から「日本人は無宗教と言われるが、神様が見ているから踏みとどまれる、という感覚を持っている人が多い」といった声が見られます(2021年の投稿)。八百万の神の視点を、AIやテクノロジーにまで広げて考えるデザイナーの声もあります。一方で、就活生の4割が「AIに奪われない職」を意識して志望を変えたという報道(日本経済新聞)もあり、「人と直接関わる仕事」に価値を見出す声も見られます。AIへの不安と、自然や人とのつながりへの思いが、同じ人の中に同居しているように感じます。

 

子どもの頃、「自然は開発して豊かになるもの」と感じていた時代を覚えていますか? 今のあなたは、自然に「従う」「利用する」「征服する」のどれに近いでしょうか?

 

では、一度失いかけて取り戻してきたこの感性を、AI時代の自分の暮らしに、そしてもう一つの収入源にどう生かしていけばいいのか。その具体的な習慣を、この先でお話しします。

 

6.「感じる・問う・共に在る」を暮らしと稼ぎに――共鳴の感性を育てる3つの習慣

 

AI時代に人間らしさを保つ手がかりは、壮大な文明論の中ではなく、「感じる」「問う」「共に在る」という3つの習慣を暮らしの中で意識して育てることにあるのではないか、と私は考えています。そしてこの習慣は、“自分にしか語れない体験”として、もう一つの収入源の芽になる可能性も秘めています。

 

ここまで見てきたように、私たちの感性は一度失いかけて、取り戻してきたものです。放っておけば、また薄れていくかもしれません。だからこそ、日々の小さな習慣として手入れしていくことが大切なのだと思います。

 

感じる:驚きと畏れを、意識して取り戻す

 

初詣やお盆、お月見を、ただの形式として流さずに味わってみる。近所の神社や鎮守の森を、目的を持たずに歩いてみる。虫の音や桜、月の明かりに、あえて足を止めてみる。どれもお金のかからない、今日からできることです。

 

AIは共感的な言葉を上手に出力できるようになりました。けれど、大きな木を見上げたときに胸の奥がざわつく感覚を、AI自身が体験として生きているわけではありません。出力と体験は違う。この違いこそ、私たちの手元に残る領域の一つではないでしょうか。感じたことは、「今朝、境内の空気がいつもより澄んでいた」くらいの一行メモで構わないので書き留めておくのがおすすめです。

 

問う:AIの答えを受け取ったら、一度立ち止まる

 

AIの答えをそのまま受け取って終わりにせず、「自分はどう感じるか」「本当にそれでいいのか」と一度だけ問い直してみる。ギルバート氏は2012年のスワースモア大学での講話で、「知識は好奇心から、知恵は畏敬から育つ」と語っています。答えを早く出すのはAIの得意分野です。でも、答えを急がずに問い続けることは、私たち人間が引き受けられる役割なのかもしれません。「海外の教授が日本を絶賛」という話の出どころを確かめてみることも、立派な「問う」習慣だと私は思います。

 

共に在る:分かち合う相手を、人に戻していく

 

50〜60代の38.8%が「AIにしか話していない秘密がある」と答えた調査がありました。AIに相談して楽になるのは悪いことではありません。ただ、分かち合う相手がAIだけになると、人と響き合う喜びは少しずつ遠のいていくようにも感じます。地域のお祭りや清掃、趣味の集まりなど、人と顔を合わせる場を一つ持ってみる。それだけでも十分な一歩です。AI企業のトップであるダリオ・アモデイ氏でさえ、「意味は主に人間関係やつながりから生まれ、経済的な労働から生まれるのではない」と書いているのは興味深いと思いませんか?

 

3つの習慣を、もう一つの収入源の視点につなげる

 

成果を約束できるものではありませんが、次のような切り口は検討の余地があると私は考えています。

 

- 自分の実感を言葉にする発信:季節の暮らしや地域の自然、手仕事を、noteやSNSで自分の言葉で綴る。AIが書く一般的な文章とは違う、あなたが歩いて見て感じた文章は、差がつく可能性があります。一行メモが、ここで種になります。

- 土地の話を伝える体験の提供:2025年の訪日外国人は4,268万人と過去最高でした。訪日の動機は食や買い物など様々なので、「日本の感性に惹かれて来ている」とは言い切れません。それでも、地域の神社や森、行事を自分の言葉で案内できる人の出番は、増えていくのかもしれません。

- 副業選びの物差しを持つ:X上には「『AIに仕事を奪われる』という言葉の奥には、『AIでいいや』と判断したクライアントがいる」という趣旨の声がありました。「AIでいいや」と思われない価値は何か。この問いを、副業を選ぶ基準にしてみてはいかがでしょうか。

 

こうした感性を社会の仕組みに組み込もう、という大きな議論もあり得ます。でも私は、まず一人ひとりの暮らしから始めて、家族や次の世代、日本を訪れる人たちへ手渡していくほうが確かな道だと感じています。

 

「感じる・問う・共に在る」のうち、今のあなたの暮らしで一番手薄なのはどれでしょうか? あなたにしか語れない季節の体験や土地の話は、何か思い当たりますか?

 

7.物質の先にある幸福へ――共鳴の文明の担い手は、あなたの暮らしの中にいる

 

「日本だけが正しかった」という出どころの分からない言葉に頼らなくても、日本人が揺らぎながら取り戻してきた、自然と響き合う感性は、AI時代に“物質の先にある幸福”を考える確かな手がかりになる可能性があります。

 

振り返ると、教授の言葉は一次出典を確認できませんでしたが、ギルバート氏本人の「私たちは決して個ではなかった」という主張や、「デカルトとベーコンは驚異を捨て去るべきものとした」という指摘には、日本の自然観と響き合う部分がありました。“便利な絶望”の背景には、驚きや畏れを切り捨ててきた近代の価値観がありそうです。そして日本人も、「自然を征服すべき」が34%に達した1968年から、2013年の6%へと、感性を取り戻してきたと言えそうです。だからこそ「感じる・問う・共に在る」を日々の習慣にすることに意味がある、と私は考えています。

 

物価が上がる今、「心の豊かさより、まず生活」と感じる方がいるのも当然です。それでも、収入の柱を増やそうと動くときにこそ、「自分は何に心が震えるのか」という軸があるかどうかで、選ぶ道は変わってくるのではないでしょうか。

 

日本が、物質の先にある幸福を伝えていける国であってほしい。私はそう願っています。その一歩は、遠くの大きな話ではなく、あなたの暮らしの中にあるのだと思います。まずは今週、季節や自然に立ち止まる時間を一つつくり、感じたことを一行だけ言葉にしてみてください。

 

あなたの暮らしの中で、最近いちばん心が震えた瞬間はいつでしたか? そして、その感性を次の世代にどう手渡していきたいでしょうか?

 

8.あわせて読みたい――AGI時代の“人間らしさ”と生き方を考える記事

 

あわせて読んでいただくと、「人にしかできないこと」やこれからの収入の柱について、さらに考えを深めるきっかけになるかと思います。

 

1)AIが進化しても『人にしかできないこと』とは何か?AGI社会の本質に迫る⭐

AIが出力する「共感の言葉」と、人が生きる「共感の体験」はどう違うのか。今回の「出力と体験は違う」という考え方を、もう一歩掘り下げた一本です。

 

2)「自分専属のAGI」が来る日——OpenAI大改革の裏側とAI副業への影響⭐

AIが秘書のように暮らしへ入り込む未来で、何を任せ、何を自分の手元に残すのか。“便利な絶望”に飲み込まれないための線引きを、副業の視点から考えたい方におすすめです。

 

3)「攻めのAI、守りなき格差対策」——日本政府にロードマップはあるのか⭐

AIによる仕事や収入への影響を、社会の仕組みの側から見た記事です。一人ひとりの暮らしから備えることの大切さを、別の角度から確かめられます。

 

次は「人にしかできないこと」と「これからの収入の柱」、どちらから考えてみますか? 自分の実感を手がかりに考え続けることが、AI時代の一番の備えになるのかもしれません。

 

以上です。